Zolla-Log

2025-07-08 00:00:00

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2025-07-07 23:23:00

777

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今年からフト思い立ち、塩竈神社を毎月お詣り(月詣り)しています。

頭のテッペンをキィーンと突き抜けるような御神氣の強さにも慣れて来ましたが、今月7月は本日7日に月詣りしようと前々から予定していました。

令和7年7月7日ですからね。せっかくなので御朱印を戴きたいと思いまして。。

そして梅雨とは思えない真夏のような空の下、恙無くお詣りして参りました。

 

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でも今日は単に和暦で777の日というだけではなく、占星術では天王星が双子座へ入宮する日ということもあって、色んな祈念の意味で馳せ参じました。

7月のサロン便り参照

 

それより何より、少し遡って先月6月21日の夏至のエネルギーは個人的にも凄かったです。

何故なら今年の夏至のチャートのハウス割りが私のネイタルチャートのそれとオーブ(誤差)1度未満でほぼ一致していたので。。(実際、かなりの人数のネイタルチャートを見ているつもりですが、全ハウス割りが完全に同じ度数というのは殆ど記憶にありません。)

 

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なので、こういう偶然の一致を、私は『目が合った』という言い方をします。この次元のものではないナニかとシンクロしたような畏怖を込めて(笑)

 

そんなこともあり、世の中が7月5日に注目するなか私は夏至(6/21)と、その直後の新月(6/25)と、今日7月7日にフォーカスしていました。

 

今年のこれらのムーブメントから肌感覚で感じることは、これからは『従来の認識を捨てること、そして同時に、決して無視できない自分だけの嗅覚を頼りにするのを恐れないこと』が大事になるのでは?ということ。

 

既成概念・固定観念、さまざまな情報筋から後天的に同調的に、無意識のうちにインプットされて、今その人のマインドを形作ってるもの。それらを一旦手放すこと。そして、自分の奥にある嗅覚(直感)で、信頼できる情報(真実)を見極めるひと手間を惜しまないこと。

 

仮にそれで様々な解釈について他人と違っても、それを理由に相手を否定することは恥ずかしいこと。否定は弱さの自己防衛だからです。

 

自分と違う考えを『否定』することは依存と退化を生み、違う考えを『認める』ことは創造と調和を生み出します。

何故なら、異なるものが存在するからこそ、それぞれが成長し合う機会を得るわけですから。

 

群れずに、様々な個性が各々自由に自分のアンテナを磨く時代が加速する予感がして、私個人は喜ばしく感じます。

 

あと最近よく感じること。それは、どのようなシチュエーションでも、予期せぬ言葉(予想もしない発言、突拍子もない一言など)にこそ、その人の本質が如実に表れやすいということです。そして、もしもそれに違和感を感じた場合は早々に先へ進んで(自分を先にアップデートさせて)良いんです。何故なら(そのムーブの中での)あなたに対するその人の使命(お役目)はそこで一旦完成しているはずだから。。

違和感があるにも拘らずムリに同調(同期)したままでいることは、自分の声を葬ることです。

だから先にアップデートして、また後で合流できそうなら、それを待つんです。

これって意外と良くあることだと思うんですが、世の中を見ているとそのピッチ(アップデートの間隔)が早くなっている印象を受けますね。

この話の続きは、また次回…◡̈* 

2025-06-23 15:46:00

Release the brake

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書きたいことが色々ある…とここに書いて半ば放置気味でしたが、なぜかというと、まずこのWebサイトのブログコンテンツはテンプレートによってはカテゴリ機能が表示されない(なのでTOPに手動でカテゴリ専用のエントリーを表示させています)、そして月別アーカイブ機能が無い、リアクション機能がゼロ…。という、長年fc2ブログユーザーだった私にとって使い勝手が良くなくて、それを言い訳に放置してきました。

 

でも、それ以上の根本的な理由があることに最近気づいたんです。それは自分が感じていることを言語化するのを意図的に止めていた(遠慮していた…)ということです。

あまり自覚はなかったのですが、ここ数日内観している中で急にストンと腑に落ちました。

 

思うことを言語化したいのにブレーキが掛かる。

これは、90年代から占い師をして来た私なりの古い処世術の名残りなのか、世間との足並みを揃えて群れの中に隠れていたい気持ちから来ていたのでは?と思っているところです。

 

だって例えば、昨年春頃からは『過去も現在も未来も、同時に存在している。今この次元は時間の概念が消えて来ている』みたいなことを書きたいと思っても、「は?ワケ分からん…」と思われるのがオチかと思えてブレーキを掛けて来てましたし。。

極端に例えれば、例えば縄文時代や江戸時代に自分の分身が今パラレルで同時存在しているような感覚です。

 

あとはタロットリーディングというものも、そもそも『未来の魂(その方の神性)を、今この次元にアクセスさせる行為』という感覚が私の中にあるんですが、それも殆どの方からは理解されがたい発想だろうと書けずにいたんですね。書いても削除したりなんかして。

 

でも、昨年ぐらいから私の中では思考の呪縛からの解放が加速していて、それが今月ある程度整って来たように感じています。

思考の呪縛は古いエゴとも言い換えることが出来ると思います。

それを手離す。

しかもそれは一回で終了ではなく、日々の小掃除並みに継続する姿勢がものを言う。

 

自分のマインドフルネスを習慣化するうちに、古いエゴが浮き上がって剥がれ落ちる、、そんな感覚です。

小坊主な一年 2023-12-31のブログ参照

 

古いエゴや思考の呪縛から自分を解放する…

これって内面だけのことかと思っていたのですが、こないだ鏡を見て笑ってしまったのは、実は外見でも既に起きていたんです。

 

と言うのは、私は今年2月頃からグレイヘアに完全に移行しているんですね。

久々に会う親戚なんかは『えっ⁈ウソ⁈』みたいな表情をします(笑)

もちろん久しぶりにお会いするクライアントさんの表情を見ていても、少し驚かれているのが分かります。

 

40代半ばから本格的に白髪染めを続けて来たのが、もう面倒だし髪の毛は傷むしで、しかも何かで目にした文言が心に刺さったんですね。

 

結局のところ、髪の毛は自毛の色がその人に一番似合う

 

だからと言って一気にグレイヘアに突き進む人は少ないと思いますが、私は突き進みましたね(笑)

たまたま前頭部に白髪が密集していたお陰で、シルバーのメッシュを入れてるのか?と思われることが多いんですが。さて、ここからどんな風に白髪を育てられるのか楽しみです。(いっそ全頭シルバーになりたいぐらい)

 

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正面から見ると殆どシルバーです…

 

このように、シルバーヘアに突っ走った身なのだから、内側もブレーキを掛けて息を潜めるのはいい加減やめにしよう…と思うに至る今日この頃です。

 

というわけで、自分に遠慮するのはそもそもが不自然というお話しでした。

2025-06-01 01:34:00

Anthurium

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毎年5月は否応なく庭の手入れに追われますが、今年も例外なく庭と格闘していました。まだ続きそうです。

この家に越してホームサロンという形で対面セッションを再開してまもなく20年になりますが、庭に自分で植えた樹々がかなり活きが良くて、放っておくと一年であっという間にジャングルと化してしまいます。

 

ただ一箇所、新しい苗木を植えられるスペースが空いたので、ちょっと今回はオリーブの木を植えようということになり、某ガーデニング専門店へ。。

オリーブの中でもシルバーリーフの品種で小ぶりなものが見つかり、それを購入。

 

ただ、そのオリーブよりも私の目に留まったのは、一つの小さな観葉植物でした。

 

森の奥のような深く重厚なグリーン。

そこに在るだけで周囲の雰囲気を変えてしまうほど、魔法のようなオーラを放つハート型の葉のアンスリウムです。

 

手のひらに乗せられるほど小ぶりなサイズから、想定の予算内だろうと颯爽とレジへ直行。でも一応お値段をチラっと確認した瞬間、私は固まりました。。

、、、0が1つ多い感じがするけど、これはスタッフさんの入力ミスか何かなのかも…と心を落ち着けながら店員さんに笑顔で、「あの…これは(本当ですか?)」と声を掛けたところ、店員さんはなんとも言えない慈悲を含んだ笑顔で、「これは…はい、そうなんです…」とのお返事。

 

私は植物に詳しいわけではありませんが、アンスリウムは初めてではなかったので、価格帯も知っていたつもりでした。。

スタッフの方によると、それはレアな品種のアンスリウムの中でも特に珍しく、数年に一度入るかどうかレベルの滅多に出逢えない超希少種だそうで、本来ならもっと高値に値するものだとのこと。

それを聞きながら私は人生で初めて、半泣きに近い笑顔…という、恥ずかしいほど複雑な表情をしていたに違いありません(笑)

その伝説のアンスリウム(5万円)を仮にお迎え出来たとしても、もしも私の不注意で枯らしてしまったり、もしも…ポチコ(私の黒猫)にうっかり齧られなどしてしまったら、、と思うと我が家に迎える自信がありませんでした。

 

でも、今も想いは逡巡していて、もしまだお店に残っていたらどうしよう。。とドキドキしています。

以来、あの伝説のスーパーモデルのようなアンスリウムに近い画像を待ち受けにしたりして、自分でも情けないというか、惨めったらしくて面白い事態だぞ…という5月のエピソード(現在進行形)でした。

 

多分ですが、、もしも再会してしまったら、今度は連れて来て育て始めるかも知れません。。いや待てよ、きっと育てる自信のある方の元に既に嫁いでるかも。。いやいや、もしかしたら私が迎えに来るのを健気に待ってるかも。。と、まるで格の違う絶世の美少女に恋をした市井の者のような心情が押し寄せる毎日です。

 

というわけで、画像はそれに近いけどまだ少し遠い、普通の美人アンスリウムの画像をお借りしました(泣)

2025-03-11 21:06:00

いのり

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人は本当に祈るとき

ただ灯りを見つめて

心は『無』になっている

 

14年前のあの時を振り返って、改めてそう思います。

 

あらゆることを天に託し、

こころを無にして、ただ信じて待つ境地。

 

(一切の感傷から切り離された、超然と信じる感覚です)

 

そんなあの時の心境が蘇ると、自分の奥底にある何かが浄化されるような、不思議な感覚が湧き上がります。

 

 

 

この域の(ある意味プリミティブな)『祈り』 には、現代の高度な文明や教養に本当に相応しいレベルの霊性を進化させるパワーが宿っている…と思います。

しかも、それはその人個人ではなくて、《種》全体の霊性の進化…

 

私自身こんなことを書いていても、普段はほとんど忘れてるんですが、祈りって『種を信じる(進化させる)ことの完成』として人間が持つ唯一の手段じゃないかと思います。この世界で人間だけ、それがまだ出来てない(それどころか退化している)種なんだと思います。

 

だから2011年のあの祈りの体験は、決して忘れてはいけないレベルの意味を持っているんですよね。

 

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