Zolla-Log
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Release the brake
書きたいことが色々ある…とここに書いて半ば放置気味でしたが、なぜかというと、まずこのWebサイトのブログコンテンツはテンプレートによってはカテゴリ機能が表示されない(なのでTOPに手動でカテゴリ専用のエントリーを表示させています)、そして月別アーカイブ機能が無い、リアクション機能がゼロ…。という、長年fc2ブログユーザーだった私にとって使い勝手が良くなくて、それを言い訳に放置してきました。
でも、それ以上の根本的な理由があることに最近気づいたんです。それは自分が感じていることを言語化するのを意図的に止めていた(遠慮していた…)ということです。
あまり自覚はなかったのですが、ここ数日内観している中で急にストンと腑に落ちました。
思うことを言語化したいのにブレーキが掛かる。
これは、90年代から占い師をして来た私なりの古い処世術の名残りなのか、世間との足並みを揃えて群れの中に隠れていたい気持ちから来ていたのでは?と思っているところです。
だって例えば、昨年春頃からは『過去も現在も未来も、同時に存在している。今この次元は時間の概念が消えて来ている』みたいなことを書きたいと思っても、「は?ワケ分からん…」と思われるのがオチかと思えてブレーキを掛けて来てましたし。。
極端に例えれば、例えば縄文時代や江戸時代に自分の分身が今パラレルで同時存在しているような感覚です。
あとはタロットリーディングというものも、そもそも『未来の魂(その方の神性)を、今この次元にアクセスさせる行為』という感覚が私の中にあるんですが、それも殆どの方からは理解されがたい発想だろうと書けずにいたんですね。書いても削除したりなんかして。
でも、昨年ぐらいから私の中では思考の呪縛からの解放が加速していて、それが今月ある程度整って来たように感じています。
思考の呪縛は古いエゴとも言い換えることが出来ると思います。
それを手離す。
しかもそれは一回で終了ではなく、日々の小掃除並みに継続する姿勢がものを言う。
自分のマインドフルネスを習慣化するうちに、古いエゴが浮き上がって剥がれ落ちる、、そんな感覚です。
小坊主な一年 2023-12-31のブログ参照
古いエゴや思考の呪縛から自分を解放する…
これって内面だけのことかと思っていたのですが、こないだ鏡を見て笑ってしまったのは、実は外見でも既に起きていたんです。
と言うのは、私は今年2月頃からグレイヘアに完全に移行しているんですね。
久々に会う親戚なんかは『えっ⁈ウソ⁈』みたいな表情をします(笑)
もちろん久しぶりにお会いするクライアントさんの表情を見ていても、少し驚かれているのが分かります。
40代半ばから本格的に白髪染めを続けて来たのが、もう面倒だし髪の毛は傷むしで、しかも何かで目にした文言が心に刺さったんですね。
『結局のところ、髪の毛は自毛の色がその人に一番似合う』
だからと言って一気にグレイヘアに突き進む人は少ないと思いますが、私は突き進みましたね(笑)
たまたま前頭部に白髪が密集していたお陰で、シルバーのメッシュを入れてるのか?と思われることが多いんですが。さて、ここからどんな風に白髪を育てられるのか楽しみです。(いっそ全頭シルバーになりたいぐらい)
正面から見ると殆どシルバーです…
このように、シルバーヘアに突っ走った身なのだから、内側もブレーキを掛けて息を潜めるのはいい加減やめにしよう…と思うに至る今日この頃です。
というわけで、自分に遠慮するのはそもそもが不自然というお話しでした。
Anthurium
毎年5月は否応なく庭の手入れに追われますが、今年も例外なく庭と格闘していました。まだ続きそうです。
この家に越してホームサロンという形で対面セッションを再開してまもなく20年になりますが、庭に自分で植えた樹々がかなり活きが良くて、放っておくと一年であっという間にジャングルと化してしまいます。
ただ一箇所、新しい苗木を植えられるスペースが空いたので、ちょっと今回はオリーブの木を植えようということになり、某ガーデニング専門店へ。。
オリーブの中でもシルバーリーフの品種で小ぶりなものが見つかり、それを購入。
ただ、そのオリーブよりも私の目に留まったのは、一つの小さな観葉植物でした。
森の奥のような深く重厚なグリーン。
そこに在るだけで周囲の雰囲気を変えてしまうほど、魔法のようなオーラを放つハート型の葉のアンスリウムです。
手のひらに乗せられるほど小ぶりなサイズから、想定の予算内だろうと颯爽とレジへ直行。でも一応お値段をチラっと確認した瞬間、私は固まりました。。
、、、0が1つ多い感じがするけど、これはスタッフさんの入力ミスか何かなのかも…と心を落ち着けながら店員さんに笑顔で、「あの…これは(本当ですか?)」と声を掛けたところ、店員さんはなんとも言えない慈悲を含んだ笑顔で、「これは…はい、そうなんです…」とのお返事。
私は植物に詳しいわけではありませんが、アンスリウムは初めてではなかったので、価格帯も知っていたつもりでした。。
スタッフの方によると、それはレアな品種のアンスリウムの中でも特に珍しく、数年に一度入るかどうかレベルの滅多に出逢えない超希少種だそうで、本来ならもっと高値に値するものだとのこと。
それを聞きながら私は人生で初めて、半泣きに近い笑顔…という、恥ずかしいほど複雑な表情をしていたに違いありません(笑)
その伝説のアンスリウム(5万円)を仮にお迎え出来たとしても、もしも私の不注意で枯らしてしまったり、もしも…ポチコ(私の黒猫)にうっかり齧られなどしてしまったら、、と思うと我が家に迎える自信がありませんでした。
でも、今も想いは逡巡していて、もしまだお店に残っていたらどうしよう。。とドキドキしています。
以来、あの伝説のスーパーモデルのようなアンスリウムに近い画像を待ち受けにしたりして、自分でも情けないというか、惨めったらしくて面白い事態だぞ…という5月のエピソード(現在進行形)でした。
多分ですが、、もしも再会してしまったら、今度は連れて来て育て始めるかも知れません。。いや待てよ、きっと育てる自信のある方の元に既に嫁いでるかも。。いやいや、もしかしたら私が迎えに来るのを健気に待ってるかも。。と、まるで格の違う絶世の美少女に恋をした市井の者のような心情が押し寄せる毎日です。
というわけで、画像はそれに近いけどまだ少し遠い、普通の美人アンスリウムの画像をお借りしました(泣)
いのり
人は本当に祈るとき
ただ灯りを見つめて
心は『無』になっている
14年前のあの時を振り返って、改めてそう思います。
あらゆることを天に託し、
こころを無にして、ただ信じて待つ境地。
(一切の感傷から切り離された、超然と信じる感覚です)
そんなあの時の心境が蘇ると、自分の奥底にある何かが浄化されるような、不思議な感覚が湧き上がります。
14年前、本当の暗闇を灯したキャンドル🕯️
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚🐈⬛峰レア (@minerea_com) March 11, 2025
とても綺麗なので大事に飾っていた絵蝋燭に火を灯して本当に祈ったあの当時。
本当に祈る時、人の心はただ灯りを見つめて心は『無』になっていると、改めて思います。全てを天の采配に託して、信じて待つ境地。 pic.twitter.com/8NFReduq80
この域の(ある意味プリミティブな)『祈り』 には、現代の高度な文明や教養に本当に相応しいレベルの霊性を進化させるパワーが宿っている…と思います。
しかも、それはその人個人ではなくて、《種》全体の霊性の進化…
私自身こんなことを書いていても、普段はほとんど忘れてるんですが、祈りって『種を信じる(進化させる)ことの完成』として人間が持つ唯一の手段じゃないかと思います。この世界で人間だけ、それがまだ出来てない(それどころか退化している)種なんだと思います。
だから2011年のあの祈りの体験は、決して忘れてはいけないレベルの意味を持っているんですよね。
2025
新年あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
2025年は何か新しいエネルギーが吹き込んで来ているような気がします。
やっと時代のトンネルを抜けそうか〜…という感じ。
これは占星術的解釈からでは全くなくて、あくまでも私個人が内側でキャッチしている感覚的なことです。
2000年代に急速化したIT革命がまるでワームホール(異なる宇宙へワープさせるトンネル)突入のように喩えると、そこを通過してひとまず出口(ワープ完了)を迎えるのが2025年というイメージです。
でも、人によってはデジタルなワームホールの中で悪酔いしてワープ完了出来ない人々もいて様々な混乱を招いているのが今の世の中。
IT革命の時代のワープ先の正しい集合場所が『なんとなく此処かな』と辿り着けた人々は、スマートな知性と慈愛の魂を持つはずですから、ワープ未完了や集合場所を間違えている人にも届くように、世の中に(デジタルデトックスの必要性も含めて)積極的に情報発信していくのも良いと思います。
それは特別な使命とかではなく、「これが私のスタンダード」として自分が何を重んじ、どのように日々過ごしているかを記録するだけでも意味があると思います。そこには時代と共存する尊さが表れるはずですから。
言葉の持つ力はより一層深まると思います。
ことさらその人自身の言葉で綴られた文言は、AIには無いバイブレーション(言霊)を持ちます。
何気ない一言が人を傷つけてたりしますが、何気ない一言がその人を救ったり目覚めさせたりします。
そういう意味でも、人間の言葉の力をシェアすることはこれから一層大切な機会になっていくかも知れませんね。一度も会ったことが無くても、どこかに刺さるメッセージを受け取れば、それも一つの「繋がり」に含まれると思います。
歌詞でもブログでも、刺さった文言から《なにかを感じる》ということをこれまで以上に大切に、その奥にあるメッセージに耳を澄ましてみると必ずポジティブな変化を招くはずです。
何故ならそれはセルフリーディング・内観に通じるからです。
デジタルなワームホールからワープ完了して培われるべきものの一つは、言葉への感性(感度)〜内観だと思います。
良い時代になって行きますように*