COLUMN
小坊主な一年
今年は皆さんにとってどんな一年でしたか?
私は今年は文字通り「掃除」に明け暮れ始めた一年でした。
何がキッカケかは忘れましたが、『自分を誤魔化したくない、偽りたくない』という思いが強まり、そこから何に着手するかと思えば、何年も放置していた庭の大掃除でした(笑)
気になっていたことがあっても直ぐに対処せずに様子見しながら「後回し」にして過ごすということはありがちですが、自分を騙しているような行為に思えて苦痛になって来たのかも知れません。
そして気付いたのは、掃除を始めると不思議なほど自分の内側の観察が始まる。
内観です。
私にとって、掃除は『内観』。掃除そのものが誤魔化さない作業だからでしょうね。
なので、今年の私はまるで小坊主のように毎朝床の拭き掃除をしたり、時間が空けば次の標的に定めた場所の整理整頓をすることが殆ど趣味のようになってました。この『内観』の心境はとても興味深いので改めてまとめるつもりです。
私の場合の内観は、矛盾を無くしていくような感覚。今抱えている感覚や感情を『答え』とした場合、そこに至る『式(原因)』を求める感覚です。
スッキリします。
さて、今から正月用のお煮しめを作り始めたいと思います。
今年も一年ご愛顧をいただきありがとうございました。
2024年が皆様にとって晴れやかな一年となりますように。
良いお年をお迎えくださいね*◡̈*
やっと復活
日頃から感染症対策には細心の注意を払っていましたが、8月後半から家族全員コロナに罹ってしまいました。数日の間隔を空けて発症したため、対面のお休み期間が長くなっておりご迷惑をお掛けしております。
私自身は発熱と咽頭痛は2〜3日で回復しましたが、その後の鼻炎と気管支炎の症状が1週間続きました。インフルエンザより熱は軽く、治り際の咳痰と鼻炎がしつこい印象で、まさに新しいタイプの風邪を引いた…という感じです。
地球が沸騰しているという言葉が絵空事とは思えないような異常すぎる猛暑だけでも参りそうなところに、まさかコロナに罹患するとは考えもしない試練でした。
世の中のコロナ後遺症という言葉に正直ピンと来ていませんでしたが、自分が罹患してみて、なるほど…という感じがするほど、要は『普通の、従来の風邪やインフルエンザよりも抜けが悪い(回復期が異様に長い)』という印象です。でも、これはコロナの性質というか、恐らく、この異常に長い猛暑の疲れが溜まっていたのも関係している気がします。
まだ残暑も続くようですから、このような感染症は未然に防ぐためにも、少しでも喉に違和感を感じたら『人に移さないようにする』ことが肝心だと思います。
我が家のコロナ第一号は、職場の同僚から感染したようです。その方は咳が続きながら数日勤務、その後熱が出て初めて欠勤し、その日のうちにコロナ陽性と判明。その翌日、同僚である私の家族も発症。5日後に私も発症という展開からも、とにかく『人に移さないための判断』は大切だと思いました。
先日の大雨が抜けたあとの仙台上空には、やっと秋の気配が感じられました♪
もう少し暑さは続くようですが、季節は着実に移り変わっていますね。
まずはこの度の療養ではご心配ご迷惑をお掛けしました。気持ちは完全回復中ですが、体力の回復を見ながら仕事に復帰したいと思います。
皆様もどうぞご自愛下さい。
月齢
数年前から個人的に何となく薄々感じていたのが、大体同じサイクルで同じような体感(体調)を感じることがあるということ。
カラダ全体が程良くリラックス(弛緩)していて、どんなに動いても疲れないし心拍数も変わらない。まるで海の中に漂うクラゲのような無重力感というか、心身の静寂を感じる心地好い体感。
それを感じる時の月齢が、ほぼ必ず『上弦の月』なのが分かって来ました。
しかも特にここ最近は、この体感から『今日は上弦の月だな?』と当てられるほどの、上弦の月キャッチャーになっています。
半月というのは陰と陽のバランスが取れているから…心地好い体感になるのでしょうかね。。それとも、私のネイタルチャートの月(魚座)が6ハウスにあるせいで、月齢の影響を特に受けやすいのか?肉体の経年変化によって、月の満ち欠けによる生体バイオリズムに反応するようになったのか?
この『月齢』に寄り添った食の実践があることを、以前タロット講座の受講者さんの一人から伺ったことがありました。それがとても興味深かったんです。
「今は新月が近いから根菜類のデトックスメニューなんです⭐︎」と、家族分のオシャレな曲げわっぱ弁当を見せて下さって、思わず見惚れてしまいました。
当時の私は国分町のカフェ中心に対面セッションをしていた時期で、それまでと比べて深刻な運動不足に陥っていた頃。セッションの合間に庭仕事や掃除を併行出来ていたホームサロンとは全く異なり、殆ど終日狭い店内にジッとしていなければならなかったので不健康極まりない状態でした。
このままでは身体が参ってしまう…というのもあって国分町のカフェを閉めて再びホームサロン一本に戻したのですが、そこから再びリズムをリセットするのも一苦労でした。
でも、こんな風に体感で月齢が分かるぐらいなら、それを活用することも出来るはず。…というか、やはり人体は月の満ち欠けが引き起こす海の潮流とルーツ的にも繋がっているということなんでしょうが、普段そんなルーツ系ばかり調べています。
しかし、これらを敏感に感じ取ることは簡単なんですが(私の場合)、これを快適なものに整えるための『実践』には完璧を求めようとしない方が良いと思います(私の場合w)。
心地好さをもたらす『ほどよい手抜き』は、月齢に添う中でも(少なくとも私にとっては)大切な意識だなと感じます。常に完璧を求めるということは、自然の摂理に逆らって無理を強いる、その上ムキになることで一層心地悪くなるわけですから…
その辺を受け容れるとラクになれる人は、案外多いかも知れませんね…◡̈*
【外部リンク】
12年
12年前の今日、近所の川を逆流した津波が、自宅から数十秒の道路まで流れ込んで来ました。
避難するためにその真っ黒い水の上を車で横断する瞬間、不意に、本当に唐突に『すまん…すまん…』という言霊みたいなものが入ってきました。
今でもあまり滅多にそのことを書き起こしません。
一度だけ、その話題を挿入した記事がこちらです。
地球のような、こんな命を産む海を持った星が、どこかの銀河にもあるのが「当たり前」とはなかなか言えないのは、正直、結構な恐怖です。
こんな広大な宇宙の、こんな恵まれた地球で、今だにドンパチ戦争している人間って、どれだけ進化が遅れてるんだろうという意味で。
運命の輪を回せ
大晦日を迎えると、一年という時間の過ぎるスピードが途轍もなく早いことを実感します。
時々、確認する意味で立ち止まって掘り下げているつもりでも、◯◯しながらの『ながら掘り』になっていて、肝心な部分の掘り下げは自分に甘く、どこかで核心部分からは逃げていたりして、結局は時間が経てば曖昧な状態に戻ってモラトリアムな時間に身を委ねていたりするのが人の常。そうしている間も、時は静かに確実に過ぎています。
これからどんな未来へ進んで行くのか。それはこれまで歩んで来た道のりも大きく左右しますが、時には、その人の無意識の願いが、運命を急展開させることもあります。
不思議なことに、『そんなことあるわけない』と心の奥の願いを諦めているようで実は諦めていない人ほど、現状への諦めを口にしがちなものです。
そしてそこに気付いた後は、諦めていなかった自分(本体)の声をしっかり聞き入れ、覚悟して身を委ねることが、運命の輪を回すキッカケになります。
何故ならそれが、その人の魂の声のはずだからです。
世の中はどこか、世間の秤の中に収まることを良しとする風潮がまだまだ強く、その人の本意ではなくとも無難な生き方を選択する人々で溢れています。
でも、それを変えるとても簡単な方法があります。
あなたが心から違和感を感じている(または嫌悪している)ことを手離す勇気を持つことです。その違和感を受け入れることで手に入る、何かしらの安定や平和があったとしても、それは誰かにとっては依存による安定や平和の可能性があるからです。
あなた以外の視点であなたの願いを否定させる権利は何処にも存在しない。あなたの意志はあなた自身が最も尊重すべきです。それが本当の意味での自立と自由に繋がるということを、2023年に水瓶座に入宮する冥王星が告げようとすることではないかと思っています。
今年も一年ありがとうございました。
2023年が皆さまにとって、様々な良き変化に恵まれる一年となりますように。