COLUMN
白牡丹の話
ウチの小さな庭は毎年この季節になると、庭の中心に美しい白牡丹が6〜7輪ほど咲いていました。
5年ほど前までは。。
2016年当時、国分町でタロットカフェを始めるまでは、私が仕事の合間に小さな庭の手入れしていたのですが、店開始以降は庭まで手が回らず放置状態。小さなジャングルと化した庭を見かねた両親が、庭木の剪定を買って出たことがあるのです。
はじめは『少しだけ、枝を剪定するだけね』と言って遠慮がちに始まったはずの庭の《お手入れ》は、終わった時にはそこが爆心地かと思うほど、、ウルトラハードに剪定されていました。。
確認できたのは高木の楓とエンジュぐらい。私が植えて大きな株に育てた紫陽花などは根元からスパッと、、伐採。
そして、白牡丹。。
ただでさえ細くて見つけにくい幹は、おそらく勢いで抜かれたかと思うほど、あった筈の場所に、あの細い花木は残っていませんでした。
まさに『The Death - 死神』のような出来事。
言葉を失う私と、母にしこたま怒られる父(久々の庭仕事にエキサイトしたらしく)。
私としては、多忙を言い訳に庭を放置してジャングル化させた自分が悪いので、親を咎められるわけもなく、『また、いつかそのうち伸びるさ(それが髪の毛なら)』などと殆ど諦めていました。
人生50年近く生きて来て、そんな遣り場に困る想いを抱えるなんて。。
『庭なんてもう知らない』
そんな、語るに語れないドラマがあったウチの小さな庭なんですが、植物の生命力というのは私の想像を遥かに超えていました。
あれから2〜3年後には、再び伸び始めた紫陽花が花をつけ始め、昨年ぐらいからはユキヤナギも咲いてくれるようになり、庭が少しずつ華やいで来たのです(ちょっと嬉しい)。
が、、白牡丹は、その葉すら確認出来ず…(というより昨年5月までは私の眼が悪過ぎて見えてなかったのですが…)。
植物は一度でも大地に根付けば、根が生きている限り、何度でも蘇る。そんな奇跡があの白牡丹にも起きたらいいのに、、そう思いながら、白牡丹の命を間接的に奪った自分が解せないまま、再び庭が鬱蒼として来た今年のゴールデンウィーク。
庭の牡丹の木があった辺りに、一個だけ蕾が膨らんでいるのに気付いたのです。
まさか?!と思っていたら、、
今朝、4年振りに咲いてくれました。
一輪だけ。
あの丸坊主状態から、よくぞ。。( ; ; )
*今朝8時頃、開花に気付いた時
植物の生命力って、
本当に凄いですね。。
※午後2時過ぎ、ほぼ満開
まさに、『The Judgement - 審判』そのもの。。
ところで、、白牡丹の花の《純白》は独特のオーラがあると思います。この人間界よりも神仏に近い領域のような、どこか高次元の『精 'spirit'』を纏った佇まい。
なので、そんな花木を庭に植えると、そこに住む人間の次元(波動)など軽く超えた存在になり得るような。シュールな言い方をすると、例えば牡丹のような《格》の花木を庭に植えるということは、その牡丹の "精" が家の真のオーナーとなり、その家に住む人を選んでいるのは実は牡丹だった、、と言えそうな?
私の経験上、花には精が宿ると思っているのですが、何はともあれ、その花の持つ《格》に相応しい住人で在れるように魂を磨けよ…と言われているような気がする私でした…ಠ_ಠ
素顔が…
今年もあっという間にGW。
乾いた空気が気持ち良いですねー
毎日コツコツとお客様をお迎えしていますが、そんな仕事の合間の一コマです。
ついに私の正体がバレる時が…笑 pic.twitter.com/aBFO2hmRQJ
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚ᵕ̈ 🐈⬛ (@minerea_com) May 5, 2022
猫というより👽ですね。笑
ミニマム
16日夜の大きな地震。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
我が家で落下したのは私の部屋の小物や、一階のセッションルームの私のタロットぐらい(何故か私の物ばかり)で、それ以外は奇跡的に散乱せずに済みました。
2回目の地震の強く長く尾を引く揺れの最中、また11年前の震災の再来かと、信じられないような気持ちと怒りが込み上げました。地球からすれば「生きてます、地球。」ということなんでしょうが。活動期に入った自然は容赦ないです。
でも、地震というのは、人の在り方そのものに驚くほどシンプルなメッセージを与えてくれたりもします。
これだけ何度もM7からM9の地震を経験して実感すること。
家にも、カラダにも、心にも
ゴミ(不要なもの)は溜めないほうが、前へ進みやすい。
大地震の度に、『身軽にminimumに生きなさいよ…』と教わっているような、そんな心持ちで、サイドボードから散乱した古い書類やら空箱をゴミ袋に放り込んでいました。
実は先月、色々と家に溜まっていた不要な物を粗大ゴミに出しており、家中がかなりスッキリしていた…ということも幸いしました。
と言うのも、先月半ばから耳に感じる圧のような妙な体感が度々あり、それはいつもなら中規模の地震前のことが多いのですが、今回のは噴火系かと思っていた(とにかく何か地下に相当溜まっている感覚だった)ので、それならいっそ家の断捨離をしておこうと古い家電や家具を2回に分けて市のリサイクル工場へ搬入していたのでした。
しかし、これほどの大自然の振動を断続的に受けていると、人間の脳内にも何か未知の変化(進化)が起きたりしても不思議じゃないのではないか?と思ってしまいます。
太陽系の惑星「地球」のプレートの活動を最前列で体験させられることによる、未知の能力みたいなものが芽生えても不思議ではない気がします。(※例えば日常ごく当たり前な、テレパシックなコミュニケーション能力など。)
たまたま先週辺りから、イギリスBBCの2011年制作の宇宙番組を観ていると何か心地好くて(太陽系が庭に思えるような壮大さ…笑)、地震が落ち着いてから再び環境ビデオのように流しています…。
何はともあれ、今後も地震との付き合いは続くのでしょうが、これからも自分に出来ることを極めながらミニマムに過ごしたいものです。
2018年3月11日に宮城県護国神社(仙台城跡)を参拝した時の政宗騎馬像です。
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚ᵕ̈ 🐈⬛ (@minerea_com) March 17, 2022
11年前も、昨夜の無茶苦茶な地震にも、決して倒れずに見守ってるんですよね。
…と想うと感無量。 pic.twitter.com/fZKIDSH5eL
※これまでの地震に耐えた政宗公の騎馬像が、今回ダメージを受けて傾いた為、修復されるとのこと。それほどだったのかと言う衝撃と、よくぞこれまでご無事でと言う感動と。。私は以前、新潟中越地震の前に田中角栄の夢(旧blog記事:少年と石炭)を見ていて、おそらく仙台宮城にも土地を守ろうというもの達があるとしたら、伊達政宗公は代表的な存在ではないか…と思いたいです。
11年目
この蝋燭は、震災の6日間の停電の闇を灯してくれていた灯(2011年3月12日撮影)です。当時ガラケーで撮影したものなので画像サイズが小さいです。
セッションが入っていない時の毎年この日の14時46分に黙祷するのですが、実はその時『あちら側』の波動が入って来るので、それがどんな感じなのか毎回観察しています。その感触は毎年微妙に異なるんです。
今年の『こっち側』はこの何十年で最大の物騒な世相。では『あちら側』はどうだったかと言うと言葉で表すのは難しいですが、喩えるなら、、
いや、やっぱり文字にするのは誤解も招くのでやめておきます。
大体、あちら側の波動は常に圧倒的に浄らかなエネルギーに満ちていて、大きな家族のようなバイブレーションがあるのが興味深いです。
何はともあれ、今年はあちら側の平安とこちら側の平和を祈念しました。あちら側はどこか、輝けるwarriorのような雰囲気でした、ということをここにメモしておきます。
心より御霊のご冥福をお祈りいたします。
2011年から10年目以上に、11年目の2022年の方が節目に感じる。先月までとにかく矢鱈と11が視界に入って来て困っていたけど…まったく。。
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚ᵕ̈ 🐈⬛ (@minerea_com) March 11, 2022
写真は311の翌日の自宅で実際に灯していた蝋燭
《黙祷》 pic.twitter.com/dwAVMjmSto