Zolla-Log

2025-01-03 17:17:00

2025

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新年あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いいたします

 

2025年は何か新しいエネルギーが吹き込んで来ているような気がします。

やっと時代のトンネルを抜けそうか〜…という感じ。

 

これは占星術的解釈からでは全くなくて、あくまでも私個人が内側でキャッチしている感覚的なことです。

2000年代に急速化したIT革命がまるでワームホール(異なる宇宙へワープさせるトンネル)突入のように喩えると、そこを通過してひとまず出口(ワープ完了)を迎えるのが2025年というイメージです。

でも、人によってはデジタルなワームホールの中で悪酔いしてワープ完了出来ない人々もいて様々な混乱を招いているのが今の世の中。

 

IT革命の時代のワープ先の正しい集合場所が『なんとなく此処かな』と辿り着けた人々は、スマートな知性と慈愛の魂を持つはずですから、ワープ未完了や集合場所を間違えている人にも届くように、世の中に(デジタルデトックスの必要性も含めて)積極的に情報発信していくのも良いと思います。

それは特別な使命とかではなく、「これが私のスタンダード」として自分が何を重んじ、どのように日々過ごしているかを記録するだけでも意味があると思います。そこには時代と共存する尊さが表れるはずですから。

 

言葉の持つ力はより一層深まると思います。

ことさらその人自身の言葉で綴られた文言は、AIには無いバイブレーション(言霊)を持ちます。

何気ない一言が人を傷つけてたりしますが、何気ない一言がその人を救ったり目覚めさせたりします。

そういう意味でも、人間の言葉の力をシェアすることはこれから一層大切な機会になっていくかも知れませんね。一度も会ったことが無くても、どこかに刺さるメッセージを受け取れば、それも一つの「繋がり」に含まれると思います。

歌詞でもブログでも、刺さった文言から《なにかを感じる》ということをこれまで以上に大切に、その奥にあるメッセージに耳を澄ましてみると必ずポジティブな変化を招くはずです。

何故ならそれはセルフリーディング・内観に通じるからです。

 

デジタルなワームホールからワープ完了して培われるべきものの一つは、言葉への感性(感度)〜内観だと思います。

 

良い時代になって行きますように*

 

2024-12-25 19:00:00

TAROT=タロー*奇跡のひととき

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今年2024年の中で最も印象深い思い出を書き留めておきたいと思います。

と言ってもそれは、ここ1ヶ月の間の出来事です。

 

先月、義姉からある話を打ち明けられました。

それは、数十年振りに再会した義姉の親友Yさんのことでした。

 

Yさんは末期癌で、医師からも会いたい人には今のうちに会っておくように告げられ、躊躇いつつも義姉に連絡をしてくれたそうなのです。そして何度かYさんと会う中でひょんなことから私の話になり、Yさんが私のタロットを受けたいと言っている…と。しかし、死を前にしてタロットをお願い出来るものだろうか…ということでした。

私には充分に義姉の想いが分かったため、私なんかでお役に立てるなら是非Yさん宅を訪問したいと伝えました。ただ、Yさんは私のサロンごと "オーラを感じてみたい"そうなのでサロンでお迎えすることに。

 

Yさんは40年前に演劇を通して義姉と出逢っていて、私の夫とは昔一緒にパンクバンドをやっていたという間柄。夫の親族は義母を筆頭に演劇界に携わった人物が多く、夫がレコード音楽業界に進むキッカケを与えたのは義姉で、私とは同じ母校のOG同士。

そんな繋がりを持つ4人が集うことになったのですが、今回は更に、Yさんにアロマトリートメントを受けてもらうため義姉の娘Einaちゃんも参加することに。

 

サロンへ到着した時、Yさんはもうキラキラと満面笑顔で輝いていて、直前の体調を聞いて心配していた私たちは、この時を奇跡に感じました。

 

皆んなもう嬉しくてワクワクしながら、夫と義姉はランチの支度にキッチンへ。

Yさんからすると、そこに居るのは長年の友である義姉とその身内だけ。和やかなムードの中、タロットリーディングとアロマトリートメントを受けて終始ずーっとにこやかで本当に嬉しそうなYさん。。

その後、義姉のエスニック料理を囲んでの食事会。

    ✽- 𝑚𝑒𝑛𝑢 -✽

◯カオマンガイ(タイ料理)

◯韓国風そーめん ◯中華風コールスロー

◯抹茶プリン ◯チャイティー

 

どれも美味し過ぎて、特にカオマンガイは3回ぐらいおかわりした私…*

Yさんへの義姉の気持ちが詰まった時間はとても心地好く、そして奥深く、最後はYさんが、あ〜帰りたくな〜い♪と言うほどでした。

 

はじめはおそらく私も義姉も、Yさんに何かを『してあげたい』意識があったと思います。でも結果的にはその場に居る皆んなそれぞれが《何かを分け合って 必要な何かをチャージし合えた》そんな時間だったのかもね…と義姉と語らいました。

 

いや、もしかしたらYさんと義姉の向き合い方に、命と魂のやり取りを見たのだろうと思います。。

美味しい手料理を食べながら皆んなの懐かしい思い出話でワイワイ盛り上がるなか、私は《そもそも…死は命の終わりとして忌むものではなく、むしろ"生の完成" として慈しむものなのかも…》 そんなことを感じていました。肉体の時間が迫っているYさんの魂が、肉体の枠を越えて輝いて見えたからかも知れません。。

 

肉体は この世に授かった命ある器

本体は魂

肉体には死が訪れるけれど 魂は永遠

Yさんから感じたのは、

そのバイブレーションでした。

 

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Yさんはアーティストとしてもかなり秀でた方で、ご自宅の壁や家具には中世のタロットのような絵柄が施されていて、それはまるで私が愛用しているスカピーニのタロットから抜け出して来たような絵ばかりでした(Yさんはタロット未経験なのにです)。

タロットがオーラにまで刻まれているような私などと会いたいと思われたのは、何か不思議な導きにも感じます。 

 

サロンから帰宅したYさんは、タロットリーディングを受けたことが本当に楽しかったと息子さんに語ってらしたそうです。(よかった…♡)

ところでTAROTは英語読みで『タロー』と発音しますが、Yさんの息子さんのお名前はなんと『たろう』さんなのでした…◡̈* 

 

 

それから一カ月が過ぎ、

Yさんは天に召されました。

本当に最後の力を振り絞って、私のところへ来てくださったのだろうと思います。。

義姉と弔問に伺った際、息子さんに「実はTAROTって、英語ではタローって発音するんですよ…」と伝えると、タロウさんはとっても素敵な笑顔を見せて下さいました。。

 

TAROT=タロー。Yさんに教えておけば良かった〜〜!!というのが一番悔やまれることです。

そして、もっともっと早くYさんと出逢いたかった。。とっても…とっても素敵な方でした。

 

どうか安らかに…

このご縁に心から感謝します✴︎

 

 

 

✴︎Merry Christmas✴︎

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2023-12-31 21:44:00

小坊主な一年

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今年は皆さんにとってどんな一年でしたか?

私は今年は文字通り「掃除」に明け暮れ始めた一年でした。

何がキッカケかは忘れましたが、『自分を誤魔化したくない、偽りたくない』という思いが強まり、そこから何に着手するかと思えば、何年も放置していた庭の大掃除でした(笑)

気になっていたことがあっても直ぐに対処せずに様子見しながら「後回し」にして過ごすということはありがちですが、自分を騙しているような行為に思えて苦痛になって来たのかも知れません。

 

そして気付いたのは、掃除を始めると不思議なほど自分の内側の観察が始まる。

内観です。

私にとって、掃除は『内観』。掃除そのものが誤魔化さない作業だからでしょうね。

なので、今年の私はまるで小坊主のように毎朝床の拭き掃除をしたり、時間が空けば次の標的に定めた場所の整理整頓をすることが殆ど趣味のようになってました。この『内観』の心境はとても興味深いので改めてまとめるつもりです。

私の場合の内観は、矛盾を無くしていくような感覚。今抱えている感覚や感情を『答え』とした場合、そこに至る『式(原因)』を求める感覚です。

スッキリします。

 

さて、今から正月用のお煮しめを作り始めたいと思います。

 

今年も一年ご愛顧をいただきありがとうございました。

2024年が皆様にとって晴れやかな一年となりますように。

良いお年をお迎えくださいね*◡̈* 

 

2023-09-09 12:52:00

やっと復活

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日頃から感染症対策には細心の注意を払っていましたが、8月後半から家族全員コロナに罹ってしまいました。数日の間隔を空けて発症したため、対面のお休み期間が長くなっておりご迷惑をお掛けしております。

私自身は発熱と咽頭痛は2〜3日で回復しましたが、その後の鼻炎と気管支炎の症状が1週間続きました。インフルエンザより熱は軽く、治り際の咳痰と鼻炎がしつこい印象で、まさに新しいタイプの風邪を引いた…という感じです。

地球が沸騰しているという言葉が絵空事とは思えないような異常すぎる猛暑だけでも参りそうなところに、まさかコロナに罹患するとは考えもしない試練でした。

世の中のコロナ後遺症という言葉に正直ピンと来ていませんでしたが、自分が罹患してみて、なるほど…という感じがするほど、要は『普通の、従来の風邪やインフルエンザよりも抜けが悪い(回復期が異様に長い)』という印象です。でも、これはコロナの性質というか、恐らく、この異常に長い猛暑の疲れが溜まっていたのも関係している気がします。

まだ残暑も続くようですから、このような感染症は未然に防ぐためにも、少しでも喉に違和感を感じたら『人に移さないようにする』ことが肝心だと思います。

我が家のコロナ第一号は、職場の同僚から感染したようです。その方は咳が続きながら数日勤務、その後熱が出て初めて欠勤し、その日のうちにコロナ陽性と判明。その翌日、同僚である私の家族も発症。5日後に私も発症という展開からも、とにかく『人に移さないための判断』は大切だと思いました。

 

先日の大雨が抜けたあとの仙台上空には、やっと秋の気配が感じられました♪

もう少し暑さは続くようですが、季節は着実に移り変わっていますね。

まずはこの度の療養ではご心配ご迷惑をお掛けしました。気持ちは完全回復中ですが、体力の回復を見ながら仕事に復帰したいと思います。

皆様もどうぞご自愛下さい。

2023-06-16 18:18:00

全てはそこから始まった

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'90年前後の仙台のサブカル空間

※一部加筆済み 2023-06-21

ここ最近の新規のお客様方から、『魔女の家』について尋ねられる事が多いので確認してみたら、仙台マンションの魔女の家の店舗が閉業していたと知りました。

ですので改めて一度、私の経歴も併せて魔女の家のことについてまとめますね。

 

かつて仙台市青葉区一番町4丁目商店街には、1990年前後のサブカルチャーが集まったようなテナントビル『Shall(シャル長崎屋)』がありました。現在40〜60代で仙台を知る人にとって懐かしい場所ではないでしょうか。仙台の魔女の家は、そのビルでも特に個性の強い3階でスタートしました。

同フロアにはヒステリックグラマー、ガラクタ貿易(ヴィレヴァン系雑貨店の草分けのようなお店)、Blackなどのロック系アパレルショップや雑貨店が入り、4階フロアは古着屋や床屋さん、そしてタワーレコードが入っていました。

そのような環境に魔女の家は生まれたわけですが、そもそも魔女の家の発祥は関西。創業者のアレクサンドリア木星王氏はタロットを日本に広めた第一人者であり、そのお弟子さんである小関昭子さんが開いたお店が仙台の魔女の家です。

 

魔女の家の発祥

『魔女の家』という名称の起源について知る方は少ないと思うので少し触れますね。

タロットという海外の文化が日本人に知られ始めたのは今から50年程前で、早くには1960年代に作家の澁澤龍彦氏が書籍でタロットという存在に触れたあたりが国内での最初の産声です。

そして1970年代以降、前述の木星王氏がタロットに関する数々の研究書・入門書を出版。更に「School of Wicca」という通信講座を開講し、1980年代以降そのメンバーの方々が在籍したであろう国内初のタロット占い店が、木星王氏が関西で開業した『魔女の家』です。

そんなわけで、魔女の家はタロット占いを全国に広めた草分けであり、タロットや魔術書関連、西洋占星術等、かなりコアな専門書を扱う出版社『魔女の家BOOKS』でもあります。

※この魔女の家の『魔女』の詳しいニュアンスについては後日まとめてみたいと思います。通説的に使われる魔女の意味とは異なります。

欧米を中心に民間に広まり始めたタロットを日本国内に広めた方々の中でも、木星王氏(魔女の家)が第一人者と呼べる理由は、当時まだ一部のマニアにしか知られていなかったタロットという知識体系を、数多くの入門書とタロット占いの実店舗を通じて一般にも広めたことにあると思います。(魔女の家BOOKSの書籍は当初からかなり専門的で、今ではその多くがプレミア価格です。)

 

更に細かく言うと、1980年代に木星王氏が展開した『魔女の家』の一つが神戸三宮のシャル長崎屋にあり、早くから木星王氏に師事しタロットをマスターしていた小関昭子先生が木星王氏の勧めで同じ系列のシャル長崎屋仙台店に開業したのが『魔女の家仙台店』です。

私がそこでプロとして活動を始めたのが1991年3月、まだ21歳という年齢でした。

 

タロット占いという技能

私は10代後半から、それこそ魔女の家BOOKSの教本で西洋占星術を勉強していたものの、タロットに関してはほぼゼロからのスタート。にも関わらず快く仲間に迎え入れて下さいました。

私がホロスコープ(占星術)を読むようにタロットリーディングをする傾向があるのは、占星術の土台にタロットを当て嵌めて読み取るクセが、スタート当初からあったからなんです。(逆に、占星術の知識があったせいで、タロットへの理解が異様に早かったのだと思います。タロットの中には占星術が織り込まれてますからね。)

そんなわけで、私のタロットリーディング(特にホロスコープスプレッドの独特のスプレッド法など)は完全に魔女の家仕込みです。

 

しかも、20代前半という若さでプロとしてタロットリーディングをするというのは、今思えば巫女の修行のような世界に近かったのかも知れません。なにせ人生経験からのアドバイスなどではなく、タロットというエッジの効きまくった専門道具を通じてまるで神託のように『リーディングを降ろす』ような日々ですから。でも、それは30年以上経った今でも根本は変わらない気がします。年齢を重ね、人生経験も積んでいるわけですが、タロットを読む行為というのは人生経験と全く異なる次元の〈専門職〉と言える独特の技能があると言って良いと思います。

 

タロットの実態

私がある意味幸運だったと思うのは、魔女の家のような場所からタロットリーディングをスタートしたことにより、知識よりも何よりも実践によって『タロットは実際、どの様な状況にどのように出て、どうように読めるのか』を何万件も見せられ続け、叩き上げられたことにあると思っています。

そのせいで、知識以上にリアルな実体験としての生きたタロットリーディングが浸透したと思います。(幸いにも、多くのリピーターの方々から経過・結果報告を受ける機会に恵まれ、必然的にタロットのリアルな実態と世界観が形成されていったと思います。)

実際の現場でのタロットの出方・読み方、それを魔女の家という場所で吸収して来れたことは何にも代え難い経験です。

 

当時の客層は特に20〜30代が多く、それ以上の世代の方や10代の制服姿の高校生も見られましたが、あの雰囲気に負けて入店を断念した方も多かったかも知れません。ロックが鳴り響くフロアの一角で、タロットカードは勿論のこと、魔術書や占星術の教本、海外から輸入した魔術グッズやキャンドル、オイル、インセンスなども展示(販売)していましたからね。

 

魔女の家育ち

私が在籍していた1990年代当時のシャル仙台魔女の家には、オーナーを除いてほぼ同世代(当時20代)の占い師が(私を含め)4人在籍していました。

今だに、「よくぞ『魔女の家』と名付けたなぁ…」と感心するほど、当時の私たちはまるで姉妹のように親密で、なにか特別な親戚のような絆で結ばれている安心感を今だに感じる、まさに文字通りの〈魔女の家〉そのものでした。木星王先生がそこまで見越して名付けていたのだとしたら全く脱帽です。。

ちなみに私が店に入ってから数年の間に、私以外の仲間は一人ずつそれぞれに新たな道へ歩み出し、当時の在籍メンバーでタロットの仕事を続けているのは私だけです。

そんなわけで21歳から魔女の家で純粋培養的に育ち、私生活では出産・子育てが始まった1997年前後にお店から独立し、それ以降は完全に個人で活動しています。

※魔女の家が一番町4丁目のシャルから中央2丁目の仙台マンションへ移転したのは私が独立した後です。

  

幼少の頃から海外移住の夢を持ち、ランドセルを背負って小学校に通う6年間は『人間の子供期間は長すぎる』と感じていたような奇怪な子供だったのが、紆余曲折を経て占星術師を目指し始め、必然的にタロットを始めることになってしまった人生…と言うのも、少し変わってるのかも知れませんね。

 

占いに特化した常識人

ただ一つだけ感じるのは、、

占い店や占いの館というと、一般人とは少し掛け離れた世界の人々と思われやすいのかも知れませんが、私が居た時代(おそらくそれ以降も)の魔女の家の仲間は実に普通で、タロットリーディングや占星術の技能に特化した常識人の集まりでした。

そして何より、すべてのお客様を差別することなく公平に見るという意識が根付いていました。それは小関オーナーの人格(根底には木星王氏の意識)によるところが大きかったと思います。私が今でも誇りに思うのはこの部分です。この世界に生きる上での私の信条とも言えますが、世の中の多くの占い店経営者の方々もそれを心から望んでいるのではと思います。

占い師という職業は偏見や誤解を受けやすいものですが、どんなに優れた技能もその人の知性(教養)と人間性の土台の上でこそ健全に活かされるわけですから。

 

改めて、仙台で長年に渡り魔女の家を続けられた小関(アッコ)先生に心から感謝を捧げたいと思います。

 

 

✿追記✿ サブカルな背景

先に触れた通り、なにしろシャル当時の魔女の家は周囲の環境からもBGMには事欠かず、常にロック、ソウル、パンク諸々が大音量で流れまくっていて、その中の魔女の家は不思議と周囲に溶け込んでいました。(むしろタロットの店に押されない周囲の個性が凄いと思います)あの妖しく賑やかな環境で占星術の仕事が出来るなら本望…という気持ちで入ったと言えるかも知れません。

10代からファンク、ロック、テクノ、アシッドジャズ、ガムラン諸々の音楽に浸り、国内ミュージシャンでは、じゃがたら、ミュートビート、ボ・ガンボス、レピッシュのLiveに行っていた私にとって、当時のShallという場所は憩いの場でしたから…。

なので、私のタロットリーディングの空間に大きなオーディオセットや大量のレコード(主にロックやソウル系)があるのは至極当然なんです。さすがにセッション中は静かめのボサノヴァあたりしか流しませんが…。(ちなみに夫はシャル時代のタワーレコードの社員です)

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改めて書いていて思い出しましたが、私にとってタロットの始まり=サブカル空間(シャルの中の魔女の家)への仲間入りというのは、あの場所の空気そのものが〈素の自分〉に近かったために吸い込まれるように違和感なく飛び込めたのだろうと思います。

(実際、当時のメンバーはスピリチュアルというより断然サブカル寄りな個性だった…というのも、あの時代の魔女の家の雰囲気を生み出していたのではないでしょうか。)

とにかく当時の記憶や想い出を書き出すと止まりません。郷愁そのもの。。

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