COLUMN
全てはそこから始まった
'90年前後の仙台のサブカル空間
※一部加筆済み 2023-06-21
ここ最近の新規のお客様方から、『魔女の家』について尋ねられる事が多いので確認してみたら、仙台マンションの魔女の家の店舗が閉業していたと知りました。
ですので改めて一度、私の経歴も併せて魔女の家のことについてまとめますね。
かつて仙台市青葉区一番町4丁目商店街には、1990年前後のサブカルチャーが集まったようなテナントビル『Shall(シャル長崎屋)』がありました。現在40〜60代で仙台を知る人にとって懐かしい場所ではないでしょうか。仙台の魔女の家は、そのビルでも特に個性の強い3階でスタートしました。
同フロアにはヒステリックグラマー、ガラクタ貿易(ヴィレヴァン系雑貨店の草分けのようなお店)、Blackなどのロック系アパレルショップや雑貨店が入り、4階フロアは古着屋や床屋さん、そしてタワーレコードが入っていました。
そのような環境に魔女の家は生まれたわけですが、そもそも魔女の家の発祥は関西。創業者のアレクサンドリア木星王氏はタロットを日本に広めた第一人者であり、そのお弟子さんである小関昭子さんが開いたお店が仙台の魔女の家です。
魔女の家の発祥
『魔女の家』という名称の起源について知る方は少ないと思うので少し触れますね。
タロットという海外の文化が日本人に知られ始めたのは今から50年程前で、早くには1960年代に作家の澁澤龍彦氏が書籍でタロットという存在に触れたあたりが国内での最初の産声です。
そして1970年代以降、前述の木星王氏がタロットに関する数々の研究書・入門書を出版。更に「School of Wicca」という通信講座を開講し、1980年代以降そのメンバーの方々が在籍したであろう国内初のタロット占い店が、木星王氏が関西で開業した『魔女の家』です。
そんなわけで、魔女の家はタロット占いを全国に広めた草分けであり、タロットや魔術書関連、西洋占星術等、かなりコアな専門書を扱う出版社『魔女の家BOOKS』でもあります。
※この魔女の家の『魔女』の詳しいニュアンスについては後日まとめてみたいと思います。通説的に使われる魔女の意味とは異なります。
欧米を中心に民間に広まり始めたタロットを日本国内に広めた方々の中でも、木星王氏(魔女の家)が第一人者と呼べる理由は、当時まだ一部のマニアにしか知られていなかったタロットという知識体系を、数多くの入門書とタロット占いの実店舗を通じて一般にも広めたことにあると思います。(魔女の家BOOKSの書籍は当初からかなり専門的で、今ではその多くがプレミア価格です。)
更に細かく言うと、1980年代に木星王氏が展開した『魔女の家』の一つが神戸三宮のシャル長崎屋にあり、早くから木星王氏に師事しタロットをマスターしていた小関昭子先生が木星王氏の勧めで同じ系列のシャル長崎屋仙台店に開業したのが『魔女の家仙台店』です。
私がそこでプロとして活動を始めたのが1991年3月、まだ21歳という年齢でした。
タロット占いという技能
私は10代後半から、それこそ魔女の家BOOKSの教本で西洋占星術を勉強していたものの、タロットに関してはほぼゼロからのスタート。にも関わらず快く仲間に迎え入れて下さいました。
私がホロスコープ(占星術)を読むようにタロットリーディングをする傾向があるのは、占星術の土台にタロットを当て嵌めて読み取るクセが、スタート当初からあったからなんです。(逆に、占星術の知識があったせいで、タロットへの理解が異様に早かったのだと思います。タロットの中には占星術が織り込まれてますからね。)
そんなわけで、私のタロットリーディング(特にホロスコープスプレッドの独特のスプレッド法など)は完全に魔女の家仕込みです。
しかも、20代前半という若さでプロとしてタロットリーディングをするというのは、今思えば巫女の修行のような世界に近かったのかも知れません。なにせ人生経験からのアドバイスなどではなく、タロットというエッジの効きまくった専門道具を通じてまるで神託のように『リーディングを降ろす』ような日々ですから。でも、それは30年以上経った今でも根本は変わらない気がします。年齢を重ね、人生経験も積んでいるわけですが、タロットを読む行為というのは人生経験と全く異なる次元の〈専門職〉と言える独特の技能があると言って良いと思います。
タロットの実態
私がある意味幸運だったと思うのは、魔女の家のような場所からタロットリーディングをスタートしたことにより、知識よりも何よりも実践によって『タロットは実際、どの様な状況にどのように出て、どうように読めるのか』を何万件も見せられ続け、叩き上げられたことにあると思っています。
そのせいで、知識以上にリアルな実体験としての生きたタロットリーディングが浸透したと思います。(幸いにも、多くのリピーターの方々から経過・結果報告を受ける機会に恵まれ、必然的にタロットのリアルな実態と世界観が形成されていったと思います。)
実際の現場でのタロットの出方・読み方、それを魔女の家という場所で吸収して来れたことは何にも代え難い経験です。
当時の客層は特に20〜30代が多く、それ以上の世代の方や10代の制服姿の高校生も見られましたが、あの雰囲気に負けて入店を断念した方も多かったかも知れません。ロックが鳴り響くフロアの一角で、タロットカードは勿論のこと、魔術書や占星術の教本、海外から輸入した魔術グッズやキャンドル、オイル、インセンスなども展示(販売)していましたからね。
魔女の家育ち
私が在籍していた1990年代当時のシャル仙台魔女の家には、オーナーを除いてほぼ同世代(当時20代)の占い師が(私を含め)4人在籍していました。
今だに、「よくぞ『魔女の家』と名付けたなぁ…」と感心するほど、当時の私たちはまるで姉妹のように親密で、なにか特別な親戚のような絆で結ばれている安心感を今だに感じる、まさに文字通りの〈魔女の家〉そのものでした。木星王先生がそこまで見越して名付けていたのだとしたら全く脱帽です。。
ちなみに私が店に入ってから数年の間に、私以外の仲間は一人ずつそれぞれに新たな道へ歩み出し、当時の在籍メンバーでタロットの仕事を続けているのは私だけです。
そんなわけで21歳から魔女の家で純粋培養的に育ち、私生活では出産・子育てが始まった1997年前後にお店から独立し、それ以降は完全に個人で活動しています。
※魔女の家が一番町4丁目のシャルから中央2丁目の仙台マンションへ移転したのは私が独立した後です。
幼少の頃から海外移住の夢を持ち、ランドセルを背負って小学校に通う6年間は『人間の子供期間は長すぎる』と感じていたような奇怪な子供だったのが、紆余曲折を経て占星術師を目指し始め、必然的にタロットを始めることになってしまった人生…と言うのも、少し変わってるのかも知れませんね。
占いに特化した常識人
ただ一つだけ感じるのは、、
占い店や占いの館というと、一般人とは少し掛け離れた世界の人々と思われやすいのかも知れませんが、私が居た時代(おそらくそれ以降も)の魔女の家の仲間は実に普通で、タロットリーディングや占星術の技能に特化した常識人の集まりでした。
そして何より、すべてのお客様を差別することなく公平に見るという意識が根付いていました。それは小関オーナーの人格(根底には木星王氏の意識)によるところが大きかったと思います。私が今でも誇りに思うのはこの部分です。この世界に生きる上での私の信条とも言えますが、世の中の多くの占い店経営者の方々もそれを心から望んでいるのではと思います。
占い師という職業は偏見や誤解を受けやすいものですが、どんなに優れた技能もその人の知性(教養)と人間性の土台の上でこそ健全に活かされるわけですから。
改めて、仙台で長年に渡り魔女の家を続けられた小関(アッコ)先生に心から感謝を捧げたいと思います。
✿追記✿ サブカルな背景
先に触れた通り、なにしろシャル当時の魔女の家は周囲の環境からもBGMには事欠かず、常にロック、ソウル、パンク諸々が大音量で流れまくっていて、その中の魔女の家は不思議と周囲に溶け込んでいました。(むしろタロットの店に押されない周囲の個性が凄いと思います)あの妖しく賑やかな環境で占星術の仕事が出来るなら本望…という気持ちで入ったと言えるかも知れません。
10代からファンク、ロック、テクノ、アシッドジャズ、ガムラン諸々の音楽に浸り、国内ミュージシャンでは、じゃがたら、ミュートビート、ボ・ガンボス、レピッシュのLiveに行っていた私にとって、当時のShallという場所は憩いの場でしたから…。
なので、私のタロットリーディングの空間に大きなオーディオセットや大量のレコード(主にロックやソウル系)があるのは至極当然なんです。さすがにセッション中は静かめのボサノヴァあたりしか流しませんが…。(ちなみに夫はシャル時代のタワーレコードの社員です)
改めて書いていて思い出しましたが、私にとってタロットの始まり=サブカル空間(シャルの中の魔女の家)への仲間入りというのは、あの場所の空気そのものが〈素の自分〉に近かったために吸い込まれるように違和感なく飛び込めたのだろうと思います。
(実際、当時のメンバーはスピリチュアルというより断然サブカル寄りな個性だった…というのも、あの時代の魔女の家の雰囲気を生み出していたのではないでしょうか。)
とにかく当時の記憶や想い出を書き出すと止まりません。郷愁そのもの。。
心のアイライン
『いただきます』
Keep your heart open
タロット『星』と風の時代
占星学の視点から、地球上は、キリスト誕生(紀元前後)から続いた魚座の時代から、現代(2000年頃から)は水瓶座の『風の時代』に入ったと考えられています。
そして特に2020年12月は、水瓶座0度で木星と土星が重なる(Great Conjunction)ことから、世の中は本格的な『水瓶座(風の最終エレメント)の時代』に更に前進すると言えます。
占星学の知恵が織り込められたタロットの中でも、特に『ⅩⅦ. The Star 星』は水瓶座を象徴していることもあり、また個人的にもこのカードと向き合うことが多くあるので、考察していることを少しずつまとめたいと思います。
宇宙から見た『大アルカナ 星』
(このカードは構図の説明だけでも長くなるので省きます。)
タロットの大アルカナ『塔』という地上の災禍の次のカード『星』に描かれる一つの特徴は、夜空という光景をモチーフに宇宙に浮かぶ星々が描かれていることです。
遠い宇宙に輝く天体は、もしかしたら太陽系の他の星かも知れませんし、遥かに遠い太陽系の外の天体も含むかも知れません(諸説あり)。
かなり端的に言うと、私は通常このカードを『形や固定概念に縛られない自在性』という解釈からリーディングします。
そして、個人的にこのカードの向こうに見る世界観の本質は、『デジタル化の中でのアナログ生活(スローライフ)』です。
ここに結びつけるまでの前置きが長くなりそうです。。
この『星』というカードは、個々を繋ぐ(仲介する)あらゆる役割や存在を象徴します。
広大な地球を繋ぐインターネットなどが例えやすいワードです。
更にそれを地球の外から見た場合、、
例えば、今私は地球上の日本という島国のとある地方都市の自宅内からインターネットを介して発信しているわけですが、それも含めて宇宙の中のどこかに存在しているのは確かです。
これらを前提に超訳すれば、『星』というカードは、広大な宇宙の中の太陽系に住む私たちが、地球の大自然と文明両方から恩恵を受けている姿だとも言えます。
まるで、地球発『或る日の穏やかで健やかな地上の様子』、、なんていう言い方も可能です。
塔(混乱)から星(希望)へ
この星というカードに描かれる光景は非常に穏やかですが、それは『塔』で悟った人間の愚かさや不完全さから招いたカオスを乗り越え、視点を外へシフトさせたプロセスが窺えます。
『星』の一つ手前の『塔』が、人類の自明のアナフィラキシーショックのようなものだと例えるなら、『星』はそこから気付いたことをポジティブに活かす方向へ歩み出した姿です。
大アルカナ『星』の領域に辿り着くまでのプロセスには、葛藤と混乱を生み出す支配やコントロール、差別や無理解などを乗り越えるための試練の道のり(大アルカナ ⅩⅤ. 悪魔、ⅩⅥ. 塔)があります。
それらを乗り越えて辿り着いた『ⅩⅦ. 星』の領域は、大きな局面と向き合ったからこその、しなやかな自信と深みのある知性を湛えているのです。
それはおそらく、最初から最後までたった独りだけで乗り越えることなど不可能だった筈です。
『星』が友情や仲間という、何かしらの『支え』があったことを示唆するのは、そのためです。
難局を乗り越えるプロセスと、そこで築かれる信頼関係。そこから見出す『希望』という言葉が、星の持つ最も好ましいメッセージです。
星のカードは、圧力やストレスなどから遠ざかることを望む傾向があるせいか、実践の現場ではとても興味深い出方をよくします。
まずは、人の捉え方を自然に還すシチュエーションが少なからず見受けられます。
その人のバックグラウンドや生い立ち、あらゆる個性や性を越えて、自分本来の素の姿に相応しい環境を求めたいと思わせるのでしょう。
それはとても自然で自由な発想をもたらします。
人によっては、会社を辞めて農業を始めたいという方や、リラクゼーションに関心が高い方なども、このカードが示すこともあります。
また、このカードのもう一つのメッセージは、地上に降ったであろう雨(恩恵)を、片方の水瓶では大地の命に注ぎ、もう片方の水瓶では本来の源となる池へ戻していることにあります。
夜空は晴れ渡り、この女性は自然の恩恵に添って生きていることが読み取れますが、全裸の姿にはそこには性差を超越した役割を担っていることを感じさせます。
社会のシステムや教えなどからそうしているのではなく、『生』という営みを自然に理解している姿です。
それを物語る優れたタロットカードがあります。
『星』に見る風の時代
このタロットデッキの『星』の女性は、ガーデナーとして描かれていますが、これを初めて見た時はかなりのセンスだと感心しました。
自然の植物(命)を育てるガーデナーは、自然に逆らわずに寄り添う人の姿です。しかもそれは、そうすることが特別なことではなく、『もしも雨が不足したなら、植物を枯らさずに、生かすために水を分け与えること』は、地上に生きる人間の自然な姿だと言えるでしょう。
何故なら、、
地上に生を受けたあらゆる命は全て、本来、生きようとするエネルギーを宿しており、それを互いに協力し分かち合うことこそ、人類が目指す未来像と言えるのかも知れません。
言い方を変えれば、命は全て異なる『個性』を持って生まれるものであり、それを生かす(活かす)ことが、人の社会本来の好ましい姿でもあると言えるでしょう。
それを引き出すために最も今必要とされるものは、学校や家庭などの従来の枠組みを越えた『教育(教え・育む)』ではないかと、私個人は感じています。
『水瓶座(風)の時代』に託されているテーマ、従来の社会の枠組みでは明らかに手狭で飽和状態を迎えているテーマは沢山あります。
タロットカードの『星』・『水瓶座/風の時代』の示す未来像は、これまでの社会の画一的な常識が時代遅れであることを示唆し、時代の転換は今後更に加速するでしょう。
そんな時代の転換期に、人類史上に無かったコロナ禍を迎えている今の地球は、決して目の前のことに諦めず、必ず乗り越えることを誓わされているように思えて仕方ありません。
風の時代の人間関係
星というカードは、正にこの現代を予言していたのでは?と思える節が多々あるユニークなカードですが、それは、このカードは特に物理的な距離を突破させる新しい価値観を表す傾向があるからです。
インターネットを介したコミュニケーションが至極当然な現代、人間関係で向き合わされる『新しい距離感』と、そこから創造されるであろう進歩的な関係性は、この『星』のカードの担うテーマでもあります。
そこにコロナ禍が加わって来た今は、むしろそれを肯定的に受け入れるべき時代に進んでいるのかも知れません。
愛情面に関しても、この星のカードは、互いの関係性のベーシックなところに、自立した関係性を求める性格を持ち、束縛やコントロールされることには否定的です。
決まりや惰性によって、または自然の流れに逆らって一緒に居たり帰属したりすることよりも、自分らしく自立し、自由(自在)であることを尊ぶカードです。
それは、コントロールによるものではなく、個々が真に望むことに正直に生きる『個人の権利』を主張する姿であり、それによって人生は本来の更なる可能性を開かせるという希望を示しています。
そして、これこそが占星学に於ける『水瓶座(風)の時代』の考察そのものと重なるのです。
占星学的視点で見た、これまでの2000年(魚座の時代)、地上の殆どの社会では男女という役割は社会によって固定の枠組みに置かれていたと言えるかも知れません。
男と女は原理的に違う生き物、という地球オリジナルの規格に従順なことを、古来の社会は『良し』として来た諸々の価値観があります。
それが、本格的な水瓶座時代への移行期にある今、古来の価値観への見直しが始まり、新たな価値観へ舵を切り出していると言えます。
逆に言うと、世の中のニュースは実に混沌としており、誰もが経験したことの無い全く新たなフェーズへ進んでいることを実感するばかりです。
あとがき
普段はTwitterの限られた文字数に収まるようにまとめる習慣がついてしまったせいか、久しぶりにブログを再開したら、言葉にしたかった事があり過ぎて纏まらず、辟易してしまいます。日頃から少しずつ吐き出すようにしなくては、と反省しています。。
先日、朝起きたらシカゴに住む女友達から数ヶ月振りにLINEが入っていました。
この文章を読むと、不思議なほどハートが温かくなるので書いてみます。
It has been a long time..
But you are always in my heart..
とてもシンプルな書き出しのこの一文に、私が『大アルカナ・星』に喩えたいものが表れていました。。
遠く離れている大切な人を想う気持ちとして、これ以上シンプルな言葉が私には見つかりません。
そして、私も大切な友人に贈ろうと思います。。