COLUMN
ミニマム
16日夜の大きな地震。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
我が家で落下したのは私の部屋の小物や、一階のセッションルームの私のタロットぐらい(何故か私の物ばかり)で、それ以外は奇跡的に散乱せずに済みました。
2回目の地震の強く長く尾を引く揺れの最中、また11年前の震災の再来かと、信じられないような気持ちと怒りが込み上げました。地球からすれば「生きてます、地球。」ということなんでしょうが。活動期に入った自然は容赦ないです。
でも、地震というのは、人の在り方そのものに驚くほどシンプルなメッセージを与えてくれたりもします。
これだけ何度もM7からM9の地震を経験して実感すること。
家にも、カラダにも、心にも
ゴミ(不要なもの)は溜めないほうが、前へ進みやすい。
大地震の度に、『身軽にminimumに生きなさいよ…』と教わっているような、そんな心持ちで、サイドボードから散乱した古い書類やら空箱をゴミ袋に放り込んでいました。
実は先月、色々と家に溜まっていた不要な物を粗大ゴミに出しており、家中がかなりスッキリしていた…ということも幸いしました。
と言うのも、先月半ばから耳に感じる圧のような妙な体感が度々あり、それはいつもなら中規模の地震前のことが多いのですが、今回のは噴火系かと思っていた(とにかく何か地下に相当溜まっている感覚だった)ので、それならいっそ家の断捨離をしておこうと古い家電や家具を2回に分けて市のリサイクル工場へ搬入していたのでした。
しかし、これほどの大自然の振動を断続的に受けていると、人間の脳内にも何か未知の変化(進化)が起きたりしても不思議じゃないのではないか?と思ってしまいます。
太陽系の惑星「地球」のプレートの活動を最前列で体験させられることによる、未知の能力みたいなものが芽生えても不思議ではない気がします。(※例えば日常ごく当たり前な、テレパシックなコミュニケーション能力など。)
たまたま先週辺りから、イギリスBBCの2011年制作の宇宙番組を観ていると何か心地好くて(太陽系が庭に思えるような壮大さ…笑)、地震が落ち着いてから再び環境ビデオのように流しています…。
何はともあれ、今後も地震との付き合いは続くのでしょうが、これからも自分に出来ることを極めながらミニマムに過ごしたいものです。
2018年3月11日に宮城県護国神社(仙台城跡)を参拝した時の政宗騎馬像です。
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚ᵕ̈ 🐈⬛ (@minerea_com) March 17, 2022
11年前も、昨夜の無茶苦茶な地震にも、決して倒れずに見守ってるんですよね。
…と想うと感無量。 pic.twitter.com/fZKIDSH5eL
※これまでの地震に耐えた政宗公の騎馬像が、今回ダメージを受けて傾いた為、修復されるとのこと。それほどだったのかと言う衝撃と、よくぞこれまでご無事でと言う感動と。。私は以前、新潟中越地震の前に田中角栄の夢(旧blog記事:少年と石炭)を見ていて、おそらく仙台宮城にも土地を守ろうというもの達があるとしたら、伊達政宗公は代表的な存在ではないか…と思いたいです。
11年目
この蝋燭は、震災の6日間の停電の闇を灯してくれていた灯(2011年3月12日撮影)です。当時ガラケーで撮影したものなので画像サイズが小さいです。
セッションが入っていない時の毎年この日の14時46分に黙祷するのですが、実はその時『あちら側』の波動が入って来るので、それがどんな感じなのか毎回観察しています。その感触は毎年微妙に異なるんです。
今年の『こっち側』はこの何十年で最大の物騒な世相。では『あちら側』はどうだったかと言うと言葉で表すのは難しいですが、喩えるなら、、
いや、やっぱり文字にするのは誤解も招くのでやめておきます。
大体、あちら側の波動は常に圧倒的に浄らかなエネルギーに満ちていて、大きな家族のようなバイブレーションがあるのが興味深いです。
何はともあれ、今年はあちら側の平安とこちら側の平和を祈念しました。あちら側はどこか、輝けるwarriorのような雰囲気でした、ということをここにメモしておきます。
心より御霊のご冥福をお祈りいたします。
2011年から10年目以上に、11年目の2022年の方が節目に感じる。先月までとにかく矢鱈と11が視界に入って来て困っていたけど…まったく。。
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚ᵕ̈ 🐈⬛ (@minerea_com) March 11, 2022
写真は311の翌日の自宅で実際に灯していた蝋燭
《黙祷》 pic.twitter.com/dwAVMjmSto
Treatment
プロパガンダ
『私に関する限り、これ見よがしの騒がしい徳よりも、無言の不徳を好みます。』
Albert Einstein
いま起きている戦争のカラクリや裏に隠された真実(いわゆる陰謀論)というテーマで、此処ぞとばかりに熱弁を振るう人々に、なんとも言えないズレを感じるのは何故かということを書きまとめていたら、元来のキツさが表に出てしまい、更には占星術の12ハウスの問題も絡めてかなり長文になりそうなので、率直に結論を書くことにしました。
映画『七人の侍』の最後の台詞
「勝ったのはあの百姓たちだ、儂たちではない。」
ようやくワルシャワに到着しました。
— Alinamama (@Alinamama4232) February 28, 2022
ポーランド大使館の方からいただいた差し入れ。
こんなに美味しくて、ちょっと涙でしょっぱいおにぎり、一生忘れません。
本当にありがとうございました。 pic.twitter.com/YD7WpscSaG
戦争と世界のカラクリを暴く以上に、更にその先に向けて動けるような啓蒙をするならその意義も増すだろうに、、と思うことがあります。
メディアから様々に発信されるプロパガンダの中に、本当に流れを変え得る、その生活自体が啓蒙と呼べる人々はごく僅かだと思います。
何故なら彼らは、戦争がある時も無い時も関係なく、絶え間なく命を支えられているからです。
前にも水瓶座の時代は何を表すかで触れましたが、水瓶を示すタロット「ⅩⅦ 星」は、スローライフ(第一次産業を含む)を物語ります。それは文字通り、物心両面で自立していることを意味します。
皮肉なことに、水瓶座時代に入った途端にコロナ禍と今度は戦争の危機と、それに比例するようにメディアを通じた二極化したプロパガンダが目立ちますが、更にそれを越えた先を見据えて、自分に出来ることを実践している人々がもっと増えれば良いと思います。
私の憧れる暮らしは、自給自足です。家族の価値観が異なるために叶っていませんが。
クライアントさんの中には、既に何年も前に大自然の麓に移住し、自給自足の暮らしをされている方々もいます。そこまで行かなくとも、大切なのは何ものにも翻弄されず、自発的な思考で行動する力。
そんなことをメディアを通じて再確認。
占星術の12ハウスというのは解明しにくい厄介なテーマを扱います。メディアが繰り広げる煽りそのものや集合的無意識もこの12ハウスに象徴されます。目を背けたくなる戦場の現実と、同じ時に安全な国で戦争の裏にある陰謀をメディアで語る人々を同時に見ると、12ハウスのネガティヴな部分について考えさせられます。
私に関する限り、これ見よがしの騒がしい徳よりも、無言の不徳を好みます。
私の理想とする12ハウスに対する姿勢は、このアインシュタインの言葉に完全に集約されます。
その理由を近々書きまとめたいと思っています。
「おはよう」
皮肉なことに何故かここ数日毎晩ぐっすり眠れている。地上がこれまでにないフェーズを迎えてるせいで、マインドがリセットを求めてるのかも。眠れることに感謝。
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚ᵕ̈ 🐈⬛ (@minerea_com) March 3, 2022
おやすみ、おはよう、の挨拶は人類最強の平和ワードだと改めて思う朝。
おはようございまーす☀