COLUMN
季節はめぐり
気温29℃ 湿度45% 快晴の仙台。
どんなにこの気候を待ち侘びたことか。
あまりの嬉しさに夜も眠れず寝不足気味です(笑)
どれくらい嬉しいかを曲で表すと、これくらい。この曲を聴くたびにこの人は天才だなと感心する。弾こうとして弾ける曲じゃなくて、湧き上がったものをそのまま表現した結晶のようなBlues。
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚ᵕ̈ 🐈⬛ (@minerea_com) August 19, 2022
これに匹敵するのは日本なら琵琶法師ぐらいだと思う(芳一)
Someday After a Whilehttps://t.co/FysqXNHfDG
50年ちょっと生きてますが、こんなに長く暑い夏は初めて経験した気がします。(そのお陰で、書きたいことが多々あっても全く何も更新できず…)
今年の暑さは強烈なストレスになっていた筈なので、これまでめげずに頑張って来た自分にご褒美を与えてやりたいですね。
とりあえず地域限定にはなりますが、猛暑との闘い、お疲れ様でした。
想うこと
昨日のニュースには言葉を失いました。想うところがあり過ぎて。。
そして(容疑者に対して)親目線で考える自分がいるんです。
産むよりも育てることの大変さ。
ネット社会で健全さを保つことの大切さ。
まだ今からでも間に合うことは沢山ある、と言いたい。そんな想いでこの仕事もしているのかも知れない。
一匹の亀を沢山の仲間の亀で支えるこの動画のように。
One thing Twitter has taught me is how smart and compassionate so many creatures on this planet are. 🐢 💙 pic.twitter.com/QWrjGXaALq
— TG (@TG22110) May 7, 2022
30年以上前の駆け出しの21歳当時、同じ年頃の男性が私を指名して、静かに穏やかに『僕は将来、人を殺しますか?』と語り出したことがあります。(この話は以前も旧ブログで触れたことがありますが)その時、彼が言葉を発する前から、これまで対峙したことのない、訳の分からない慟哭と絶望を感じたのを今でも思い出します。
あの時はまるで、《懺悔》を受け留める覚悟を試されたような感覚でした。同時に、彼は良い師になれると確信しながら対話したのを覚えています。もしかすると、彼は将来、僧侶や神父や牧師になるのかも知れない…と感じたほど。
要するに、人の核心は奥深く、それを開示することが必要な時もあるということです。
胸の内を吐き出せる人は、
他人のそれも受け留められる…
ということなのかも知れません。
そうやって、何歳になっても立ち止まっては歩み出すのを繰り返すものだと思って、あまり身構えず、独りよがりの自己完結にありがちな決め込み症候群をやめることは大切だと思います。
過去に捉われず、
過去にしがみつかないこと。。
一国を担った方の御霊に向けて心から深く黙祷を捧げます。
タロットは楽器みたいなもの
仕事の空き時間や、寝る前に、ずーっと流してることが多い映画の一つです。
タロット講座でも、「タロットリーディングはピアノの即興弾きに近い感覚もある」と話すことがありますが、実際、楽器に近いんです。
展開されたタロットカードたちは『その方の譜面』みたいなもので、それを読み込み、詠みあげる(語る)タロットリーダーは語り部みたいなもの。
いやでも、本当に。フジコ・ヘミングさんは凄くカッコいい女性だと思いますよ。
お友達になりたい。
やっぱり凄くカッコいいし、惚れる。
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚ᵕ̈ 🐈⬛ (@minerea_com) July 8, 2022
名声とかじゃなく、髄の部分でこんな80代のTarot readerになりたい。いや、なる。https://t.co/kh97YOFwPI pic.twitter.com/QkkHa8HcBL
白牡丹の話
ウチの小さな庭は毎年この季節になると、庭の中心に美しい白牡丹が6〜7輪ほど咲いていました。
5年ほど前までは。。
2016年当時、国分町でタロットカフェを始めるまでは、私が仕事の合間に小さな庭の手入れしていたのですが、店開始以降は庭まで手が回らず放置状態。小さなジャングルと化した庭を見かねた両親が、庭木の剪定を買って出たことがあるのです。
はじめは『少しだけ、枝を剪定するだけね』と言って遠慮がちに始まったはずの庭の《お手入れ》は、終わった時にはそこが爆心地かと思うほど、、ウルトラハードに剪定されていました。。
確認できたのは高木の楓とエンジュぐらい。私が植えて大きな株に育てた紫陽花などは根元からスパッと、、伐採。
そして、白牡丹。。
ただでさえ細くて見つけにくい幹は、おそらく勢いで抜かれたかと思うほど、あった筈の場所に、あの細い花木は残っていませんでした。
まさに『The Death - 死神』のような出来事。
言葉を失う私と、母にしこたま怒られる父(久々の庭仕事にエキサイトしたらしく)。
私としては、多忙を言い訳に庭を放置してジャングル化させた自分が悪いので、親を咎められるわけもなく、『また、いつかそのうち伸びるさ(それが髪の毛なら)』などと殆ど諦めていました。
人生50年近く生きて来て、そんな遣り場に困る想いを抱えるなんて。。
『庭なんてもう知らない』
そんな、語るに語れないドラマがあったウチの小さな庭なんですが、植物の生命力というのは私の想像を遥かに超えていました。
あれから2〜3年後には、再び伸び始めた紫陽花が花をつけ始め、昨年ぐらいからはユキヤナギも咲いてくれるようになり、庭が少しずつ華やいで来たのです(ちょっと嬉しい)。
が、、白牡丹は、その葉すら確認出来ず…(というより昨年5月までは私の眼が悪過ぎて見えてなかったのですが…)。
植物は一度でも大地に根付けば、根が生きている限り、何度でも蘇る。そんな奇跡があの白牡丹にも起きたらいいのに、、そう思いながら、白牡丹の命を間接的に奪った自分が解せないまま、再び庭が鬱蒼として来た今年のゴールデンウィーク。
庭の牡丹の木があった辺りに、一個だけ蕾が膨らんでいるのに気付いたのです。
まさか?!と思っていたら、、
今朝、4年振りに咲いてくれました。
一輪だけ。
あの丸坊主状態から、よくぞ。。( ; ; )
*今朝8時頃、開花に気付いた時
植物の生命力って、
本当に凄いですね。。
※午後2時過ぎ、ほぼ満開
まさに、『The Judgement - 審判』そのもの。。
ところで、、白牡丹の花の《純白》は独特のオーラがあると思います。この人間界よりも神仏に近い領域のような、どこか高次元の『精 'spirit'』を纏った佇まい。
なので、そんな花木を庭に植えると、そこに住む人間の次元(波動)など軽く超えた存在になり得るような。シュールな言い方をすると、例えば牡丹のような《格》の花木を庭に植えるということは、その牡丹の "精" が家の真のオーナーとなり、その家に住む人を選んでいるのは実は牡丹だった、、と言えそうな?
私の経験上、花には精が宿ると思っているのですが、何はともあれ、その花の持つ《格》に相応しい住人で在れるように魂を磨けよ…と言われているような気がする私でした…ಠ_ಠ
素顔が…
今年もあっという間にGW。
乾いた空気が気持ち良いですねー
毎日コツコツとお客様をお迎えしていますが、そんな仕事の合間の一コマです。
ついに私の正体がバレる時が…笑 pic.twitter.com/aBFO2hmRQJ
— 𝐌𝐢𝐧𝐞𝐫𝐞𝐚ᵕ̈ 🐈⬛ (@minerea_com) May 5, 2022
猫というより👽ですね。笑