COLUMN
ワダツミの声
私はサイコメトリーをしますが、今から3年前、サーファーをしている方から「海と会話する感覚」について聞いたことがあり、その内容が私は大好きで、いつかブログでシェアしたいと思っていました。
その方はサーフィンをしに海に入る前に、爪先を波につけてみると、何故か分からないけれどその日の海が(自分にとって)安全か危険かが分かることに気付いたのだそうです。
たとえ予報では海が荒れると言っていても、波から「大丈夫」を感じた時はそのまま海に入り、波に流されたことは一度も無く、
反対に、どんなに予報では海は穏やかだと言っていても、波に触れた時に「入るな」と感じた時は、そのまま帰る。
でも、その「入るな」を感じているのに、天候も良いし予報も大丈夫だと言ってるしせっかくだから…と海に入ったことが二度あり、その二回とも流されかけたというのです。
※これらは個人の特異な感覚ですので、決して好奇心で真似たりはなさらないで下さい。
特に神秘的な感覚だと思うのは、〈海の向こうの水平線にピンクのモヤが見える、そんな日の海はとても穏やかなんだ…〉というもの。
私は日頃から、このように個人が無意識に自然とコミュニケーションを取っている細やかな感覚を知るのが好きです。その奥にあるスピリチュアルな呼吸を感じるので。
そしてこれらは、私個人が2011年3月11日の津波から受けた不思議な感覚とどこかで繋がっているのです。
あの日、最初の10分以上の揺れが落ち着いて少し経ってから、父の運転する車で近所の小学校へ娘を迎えに出た時のこと。家を出たその時、自宅傍の梅田川を逆流して来た津波が川の堀から溢れ出て、目の前の道路へ流れ込んで来たのです。
迫って来た津波とクロスするように横断したその瞬間、私は予想もしない不思議な感覚に入りました。
恐ろしいはずの津波から、何故か、静かに切なく囁くような「すまん…すまん…」という波動が入って来たのです。
その時は、その意味を考える余裕もなく学校に向かいましたが、あの不思議な響きは今だにジンワリと私の中に残っていて、そこから改めて感じたのは、そもそも海には命を守り育む意思はあっても、命を奪う意思は無いからこその、あのような物悲しい言霊だったのではないかということです。
それが、最初に書いたサーファーさんの感覚をすんなり理解出来た理由かも知れません。
だからというわけではないのですが、6月に目の手術を終えてから、早く体調を整えるためにスマホから流していたのは、まるで波に揺られているような音源でした。今も、寝る時はその静かな波音を付けっぱなしです。
母なる海…という言葉は、海と人との深い繋がりをとてもシンプルに表していると思います。
2011年から10年目のお盆。
私にも親戚やクライアントさんの中に、津波の犠牲になった方がいます。
この話が、津波で亡くなられた御霊への慰霊になることを願います。