COLUMN

2022-03-19 00:58:00

ミニマム

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16日夜の大きな地震。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。

我が家で落下したのは私の部屋の小物や、一階のセッションルームの私のタロットぐらい(何故か私の物ばかり)で、それ以外は奇跡的に散乱せずに済みました。

 

2回目の地震の強く長く尾を引く揺れの最中、また11年前の震災の再来かと、信じられないような気持ちと怒りが込み上げました。地球からすれば「生きてます、地球。」ということなんでしょうが。活動期に入った自然は容赦ないです。

 

でも、地震というのは、人の在り方そのものに驚くほどシンプルなメッセージを与えてくれたりもします。

これだけ何度もM7からM9の地震を経験して実感すること。

家にも、カラダにも、心にも

ゴミ(不要なもの)は溜めないほうが、前へ進みやすい。

 

大地震の度に、『身軽にminimumに生きなさいよ…』と教わっているような、そんな心持ちで、サイドボードから散乱した古い書類やら空箱をゴミ袋に放り込んでいました。

 

実は先月、色々と家に溜まっていた不要な物を粗大ゴミに出しており、家中がかなりスッキリしていた…ということも幸いしました。

と言うのも、先月半ばから耳に感じる圧のような妙な体感が度々あり、それはいつもなら中規模の地震前のことが多いのですが、今回のは噴火系かと思っていた(とにかく何か地下に相当溜まっている感覚だった)ので、それならいっそ家の断捨離をしておこうと古い家電や家具を2回に分けて市のリサイクル工場へ搬入していたのでした。

 

しかし、これほどの大自然の振動を断続的に受けていると、人間の脳内にも何か未知の変化(進化)が起きたりしても不思議じゃないのではないか?と思ってしまいます。

太陽系の惑星「地球」のプレートの活動を最前列で体験させられることによる、未知の能力みたいなものが芽生えても不思議ではない気がします。(※例えば日常ごく当たり前な、テレパシックなコミュニケーション能力など。)

たまたま先週辺りから、イギリスBBCの2011年制作の宇宙番組を観ていると何か心地好くて(太陽系が庭に思えるような壮大さ…笑)、地震が落ち着いてから再び環境ビデオのように流しています…。

何はともあれ、今後も地震との付き合いは続くのでしょうが、これからも自分に出来ることを極めながらミニマムに過ごしたいものです。

 

※これまでの地震に耐えた政宗公の騎馬像が、今回ダメージを受けて傾いた為、修復されるとのこと。それほどだったのかと言う衝撃と、よくぞこれまでご無事でと言う感動と。。私は以前、新潟中越地震の前に田中角栄の夢(旧blog記事:少年と石炭)を見ていて、おそらく仙台宮城にも土地を守ろうというもの達があるとしたら、伊達政宗公は代表的な存在ではないか…と思いたいです。